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空前絶後のブログ

「このようなブログを今後、我々が読むことは恐らくかなわないでしょう」-ヒラリークリントン-

起業したらこんな会社をつくりたいっていう理想論とやりたいこと探しの善悪について

くっそ長い上に意味のわかりにくいタイトルでごめんよ;;

起業したら当然会社をつくるわけですが、今回は俺がつくりたい理想の組織について書こうと思います。

俺にとって理想の組織・・・それは「社員のやりたいことや意思を尊重し、出来る限り支援し生かしていく」、そんな組織です。

何を若造が理想論を・・・と思われるかもしれませんが、その理由について、今回の記事でつらつら書いていこうと思います。

とはいえ少しこみいった話なのでタイトルどおり、まずはやりたいことを探すのは善か悪かというところからお聴きください。

やりたいことを探すのは善か悪か。大げさな表現をしてしまったけれど、やりたいこと探しとは、世間的に見れば答えのない問題を解こうとしている、あるいは嫌なことから逃げている、などと思う人も少なくないでしょう。

また、その人の将来を心配する 親しい人たち、あるいは人材の損失を被ってしまった企業からすれば、やりたいこと探し教は悪であるかもしれません。

少し話を変えましょう。俺は大学生の後期から社会人あたりで猛烈な精神的苦痛を覚えていました。

自分の意思とは無関係に流れる世間に翻弄されることや、自分が何のために生きているか分からないこと、にも関わらず、やっぱり自分は世間の流れにのり、他人の求める成果に従って生きることにとてつもなく疲れていたんです。

その時は自分はなんて精神的に弱いのだ、甘えているのだと思ったし、衝動的に死を選びそうな感覚に襲われもしました。別に自分が欝だったとか、自殺願望が芽生えていたとか、それは病院に行ったわけでもないので分からないし、別に興味もありません。ただ、とにかく救いを求めていました。

そんな時に見つけたのが泉谷先生という精神科医の方が著されたこの記事でした。

diamond.jp

私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。(夏目漱石『私の個人主義』中公クラシックス版より)

(中略)

 大学で英文学を専攻して学んでみても、漱石には、文学がわかったという手応えが得られない。卒業して成り行きで教師になってはみたものの、その仕事にもまったく興味が持てない。そんな悶々とした状態で過ごしていたところに、突然文部省から英国留学を命ぜられたのです。漱石33歳、明治33年のことでした。

 慣れぬ異国の地で、彼の「空虚さ」は解消するどころか日々増幅するばかりで、いくら本を読んでみても、ロンドン市内をうろついてみても、一向に晴れる気配はありませんでした。そうして漱石は、ついに強度の神経衰弱、今日で言う「うつ」状態に陥ってしまったのです。

(中略)

 進学や就職に際して、実のところ特にやりたいことがあるわけでもないままに、何となく流されて選択して進んでしまう。そして、与えられた勉強や仕事はそれなりにこなすけれども、特別やりがいを感じるわけでもない。そんな日々を重ねて行くうちに、ある時ふと「自分はいったい何をしているんだ?」「これが自分の望んだ生き方なのか?」「なぜ働かなければ(勉強しなければ)ならないんだろう?」といった疑問がわき上がってくるようになり、それがじわじわ強まって、ある日とうとう動けなくなってしまうというパターンです。(上記リンクより引用)

まさに俺のことでした。夢中で読みました。上で自分が苦しんでいたことについて書いたけど、正確にはその当時は明確な言葉になってなかったです。というかそれを問題としてよいとも思ってなかった。

 

ロンドンに留学して1年が過ぎ、陰鬱な苦悩がいよいよ極まった頃、漱石はある大切なことに気づきます。

 自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」や不安の根本原因だったのではないかということです。

 今まではまったく他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったということにようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似をさすのです。(~中略~)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々(どれもこれも)皆是なりといいたいくらいごろごろしていました。(~中略~) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうていわが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。(同前)

(中略)

 さて、「他人本位」が自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」から脱出する鍵を握っているに違いないと考えました。つまり、外から無批判に「鵜呑み」で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、丁寧に吟味し咀嚼して「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。

 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(~中略~)その時私の不安はまったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。(同前)

(中略)

 このように「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけています。

 ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安んずることができるのでしょう。(~中略~)もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。(~中略~)だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握ることができるようになると思うから申し上げるのです。(同前) (同上)

 

俺はこの時、本当に救われました。そうだ、これからは自分の意思を突き詰めようと、自分の意思を持って働いていこうと決めたのです。

もう一つ、俺はこの泉谷先生の一連の記事で得たものがありました。「恵まれているはずなのに、何を悩むことがあるんだ?」 ――世代間ディスコミュニケーションの背景にあるもの という記事です。

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 アメリカの心理学者マズローは、人間の欲求について「欲求段階説」というものを唱えました。
マズロー欲求段階説
 マズローは、人間の欲求には右の図のようなヒエラルキー(階層)があって、低次の欲求が満たされるに従ってより高次の欲求に段階的に移行していくものだと考えました。そしてマズローは、欲求段階の高次化に人間の成熟を見たのです。
 この説を用いて、先ほどもふれた時代の価値観の変遷について考えてみましょう。
 戦後の「食べられるか否か」という「生理的欲求」の時代から、雇用や身分の安定を求める「安全の欲求」の時代が到来し、それは同時に、会社組織や家族・友人のみならず、学生運動・労働運動・派閥などの絆を重視し、何らかの集団の中に居場所を求める「愛と所属の欲求」の時代でもありました。そして、持ち物のみならず学歴や職業にまでブランドを求め、周囲からの評価や羨望を得ようと躍起になった「認められることへの欲求」の時代の頂点で、バブル経済は崩壊しました。
 多少強引かも知れませんが、このように戦後日本の価値観は、ほぼマズローの言う欲求段階の低次なものから高次なものへと対応しながら、移り変わってきていると言えるでしょう。これはつまり、「エサがとれるか否か」といった動物的な価値観の時代から、より人間に特異的な価値にこだわる時代に移り変わってきているということです。

(中略)

 戦後の貧しさから抜け、急速に経済的発展を成し遂げた国に暮らしている私たちには、生きるうえで何を優先するのかという価値観を、もはや旧態依然とした次元で足踏みさせておくことは許されなくなってきています。今日急増している「うつ」という社会現象は、「食うために」とか「経済的に豊かになるために」といった価値観だけでは生きていけないところまで私たちが来てしまっていることを、厳しく警告しているのです。(上記のリンクより引用)

 

より下の世代は、やれさとり世代だなんだと叩かれることも多いです。しかし上記のような意見が正しいとすれば、むしろそれは社会の成熟や日本の平和な社会、そして人間性の発展の証左であると捉えることも出来ます。

人間の行動原理が過去から未来へ発展しているかどうかというのは、社会学や政治学などでも議論が分かれるところです。でも俺は、過去の悲惨な歴史を紐解くたび、あるいはこれから先の世代のことを思うたびに、人間とは進化し、より良くなっていく生物であって欲しいと思うんです。

だから俺は「やりたいこと探し」は正しいことだと主張したい。企業という組織を造っていくならば、それを肯定し、利益として世に示したい。そうすることで他の企業や個人の行動に影響を与えることが出来れば、 上で言う人間性の発展をより肯定できると思うのです。また、そのようにして行動を「進化させた」個人、またはその集合である企業や国家は、より平和で創造的な世界への一助になるのではと考えます。

そんな理由で、俺はやりたいこと探しを肯定する会社をつくりたい。