空前絶後のブログ

「このようなブログを今後、我々が読むことは恐らくかなわないでしょう」-ヒラリークリントン-

子どもの「なんで勉強しなきゃいけないの?」という質問に対するたった一つの答え

2ちゃんからはてなからツイッターからfacebookから知恵袋まで、ありとあらゆるネット媒体で話題になるのがこの「子どもが勉強する意味」ってなに?というものである。

これが本当に伸びる話題で、いろんな人が様々な意見を述べている。たとえば

 

・将来良い職につくため

・それは自分で考えて見つけるものだ

・自分の可能性を広げるため

・数学なら論理的思考を鍛えるため

・その質問をすること自体が悪

・何事でも努力することに価値がある

 

大別すると大体こんな感じである。ただね、一言いわせてもらうとね

 

全部大間違いです

 

断言できるわ。だってさー子どもが将来がどうとか可能性がどうとかを考えて勉強頑張ろう!ってなると本気で思うか?自分で意味を見つけろってお前が答えられないだけだろ!

可能性を広げるためって論理的思考を鍛えるってお前それ本当に関連性が分かって言ってるのか?その質問をすること自体が悪って思考停止かよ。

そして子どもに勉強しろって言うお前は日々の仕事に愚痴をこぼさず意味を考えず全力で取り組んでいるんだろうなコノヤロー。

そういうわけで今回は勉強の意味についてアレコレ語っていくよ。

 まず偉そうに煽ってしまったことだし、最初に俺の答えを書こう。勉強をする意味、それはね・・・

 

テストの問題を解くため

 

これだけだよ。どう?分かりやすくてシンプルでしょ。でも考えてみれば当たり前なんですよ。教師は指導要領に則って問題の解き方を教え、テストをして、評価する。結局、学校とはそのための場でしかない。

もちろん個々人が文章の美しさや、数学が将来自分へどれだけ有用かなどを見出すかもしれないですよ?

でもそれは直接学校の勉強と結びつかない。それで評価されるわけでもなければ、日々の成績や全科目に対する学習意欲を保証するものでもないし、極端な話別に学校に通わなくてもできるよね。

つまり結局のところ、保護者も教師も子どもに求めていることは「日々テストの問題を正確に解き、良い成績を修めること」なんです。また、逆に言うと「なんであなたは息子を学校に通わせているの?なんであなたは子どもに数学を教えているの?」という問いに対して、大人達は明確な答えを持ち合わせていないのです。

にも関わらず、学校という場は将来に直結する重要な場所です。なので理由はともかく勉強して貰わないととは全員が感じてしまいます。そこで子どもも親も教師も、必要以上の意味をお互いに求めてしまうのです。

ちょっと複雑になったからもう一度整理して言うね。学校の勉強とはテストの問題を解くためだけにある。そして学校の勉強は子どもの将来とか、可能性とか、能力とか、やりがいとか熱意とか、そういった余計な+αを直接解決しない他の問題は他で解決しろ!こういうことです。

で、そうすると一周まわって、「じゃあ子どもが勉強しないのはどうすればいいんだ!」という問題になるかと思います。

それに答えるなら俺は、「大正時代の日本の教育に学べ」と言いたいです。

大正時代、学校での教え方は現代と似ているようでまるで真逆でした。たとえば古文の授業。現代ならばまず、動詞の活用と助動詞の活用と意味、接続などを教え、さらに単語の意味を覚え、口語訳や現代語訳をセットにして文章を読めるようにしていく。そしてすべて暗記できればテスト!となります。

 

 

大正時代は違います。

まず生徒はいきなり古文をそのまま読ませられます。意味が分からなくてもとにかく読む。読んで読んで読みまくる。そうしてある時耐えられなくなった生徒が聞くのです。

「先生、この文章はどういう意味なのですか?」

こうして初めて、古文を読み解くための授業が始まるのです。

お分かりでしょうか?テストの問題を解くとは本来、ゲーム的な要素のある、楽しいものなのです。なのに教えられたことを丸暗記して、覚えたように問題を解くというのは、全クリされたRPGを渡されるようなものなのです。

俺は勉強をすることに、テストの成績が上がる以上の意味がないと言いたいわけではありません。しかし、本来の意味と副次的な部分を混同してしまい、勉強の意味をキレイな言葉で飾り立てて濁すというのは、絶対に良くない結果を招くと思います。

大正時代的な教育に戻すのか、そこはまた議論の余地がありますが、結局は問題を解く、この楽しさを子どもに伝えられなければ、そりゃ勉強なんて誰もしませんよというお話でした。お付き合いいただきありがとうございました。