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空前絶後のブログ

「このようなブログを今後、我々が読むことは恐らくかなわないでしょう」-ヒラリークリントン-

シン・ゴジラは右翼のための映画?観てきたので感想とか(ネタバレ有り)

今年の7月29日に公開された庵野監督の映画『シン・ゴジラ』を観てきました。俺はむかーし幼いころにゴジラを観た記憶がある程度で、今作がほぼ初ゴジラという状態でした。

んで、先に感想を一言で言っちゃうと、メチャクチャ面白かった!

お話の流れとしては、ゴジラの出現から二度に渡る東京襲撃がおこる中で、長谷川博己演じる内閣官房副長官の矢口蘭堂を主人公に、日本の政治家、官僚、新聞記者、そして米国など様々な思惑が交錯する様を描く、というものでした。

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この映画の大きな特徴として、一部では会議映画との声もあるぐらい、ゴジラとの戦いというよりも、それぞれの立場からの人間のやり取り、会議や現場の人間たちの仕事ぶりに焦点が当てられました。

 

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んで、この設定がとても上手くて、なんでかっていうと、まずシンゴジラっていう映画は明らかに3.11ゴジラを通して描いているんですね。

その当時の日本人として、あの災害で強く印象に残ったことは、津波によって蹂躙される街と人、原発の爆発とまき散らされる放射性物質、そしてその時に対応にあたっていた政府であったと思います。その震災をそのまま焼きなおしたシンゴジラは、そういう意味で日本人にとって、とてもリアリティがありました。

シンゴジラでは、ゴジラ(幼体)が東京湾に出現すると、すぐに政府で対策の検討を始めます。しかし、ゴジラを捕獲するのか駆除するのか、軍隊を出動させて良いべきかなど、議論ばかりで一貫した結論は出ません。また、各省庁も、お互いがどこまで何をするべきか、全くまとまらずグダグダなまま会議は終わります。

ゴジラという生物に対しても、大学教授らが集まる有識者会議で意見を募りますが、「前例がない」、「捕まえてみないとわからない」と、無駄に時間を浪費するばかり。

そうこうしているうちにゴジラが東京に上陸、ビルをなぎ倒し車や船を吹き飛ばし、多くの人間を犠牲にしながら前進を開始します。

ここにきて総理は自衛隊の出動とゴジラの駆除を決断しますが、ゴジラへの攻撃に際し民間人が犠牲になりそうになると決断を撤回、結局ゴジラは海に戻りパワーアップして再度襲来してしまいます。そして放たれる熱光線と放射能によって東京を壊滅に追い込んでいく・・・

 

いかがでしょうか?役に立たない有識者や御用学者、右往左往するだけで責任をとらない東電、「ただちに影響はない」と連呼する政府、ヒューマンエラーによる福島第一の爆発など、(それが正しいか正しくないかは別として)それは我々日本国民に強烈に共有されたイメージを想起されると思います。

 

 

 

こうしてパワーアップして襲来するゴジラと、消耗しながらも諦めずに打開策を探る政府。最後まで手に汗握ります。また、会議映画と言われても、ゴジラの圧倒的な破壊シーンは圧巻でした。

なので俺はこの映画、非常に満足だったのですが、外国ではどう捉えられるのかというのはとても興味がありますね。

 

・・・とここまでが俺の感想ですが。この『シン・ゴジラ』、一部では右翼的な映画という意見もあるようです。

 

ひとつは、シンゴジラでは、9条のせいで自衛隊の出動が遅れ、そのせいで被害が広まるという描写があるから、というもの。

 

上でまとめられていますが。タイトルにあるようにこれはデマです。一応、どういう憲法解釈で自衛隊を出動させるか?と話し合うシーンはあるにはありますが、別にそれで自衛隊の出動が遅れるということはありません。

また、総理も「前例がない」といって自衛隊の出動や国内への攻撃を躊躇しますが、別に9条に関係なく躊躇したと思いますね。まあ実際はゴジラ=自然災害としてチャチャっと自衛隊出動するんじゃないか?とは思いますが。

 

そして2つ目が矢口の「戦後は続くよどこまでも」というセリフ。ネタバレになりますが、劇中ではアメリカに好き放題に命令された挙句、一方的にゴジラ駆除のために東京に核攻撃をすると通告されます。その状況を皮肉ったのが矢口の上のセリフなわけですね。

これに関しては、まあ実際アメリカが日本に年次改革要望書で命令していたみたいな現実があるわけで。現実的な描写ではあると思います。

なのでこれだけで右だ左だというのは違うかなあ・・・と思います。なので「この映画は右翼的な映画ですか?」と聞かれたら

「宮崎監督の『風立ちぬ』で『おい日本が近代国家だと思ってたのか!』というセリフがありますが、それで『風立ちぬ』が左翼的な映画だとするのならそうです。」と答えます 笑

 

んで3つ目としてネットで囁かれているのが英霊の敵討ち説

 

英霊の敵討ち説

 

シンゴジラを観た方なら気付いたかもしれませんが、
ゴジラと戦うのって自衛隊ですよね?
んで、その自衛隊ゴジラが攻撃する描写はないですよね
凍結させる時に犠牲になった自衛隊員の描写はありますけど、
故意にゴジラが攻撃したんじゃなく暴れた結果、犠牲になったって感じ。

ゴジラの表の設定というのは、恐竜の生き残りが不法投棄された
核を食べた事で進化した怪獣。
んで、裏の設定というのが、旧日本軍の英霊っていう話。
ゴジラの裏設定が、
英霊達の集合体という事であれば、
現在の日本の政治体制に対して相当な反発も持つのは確かでしょう。

ゴジラが再度上陸した時に、鎌倉から上陸したものの、
何故かまた東京を目指しましたよね?
ゴジラは東京を目指す理由がハッキリとあったんですよ。
英霊の集合体ならゴジラが向かった場所は
『皇居』
靖国神社
この2箇所だと思われます。
他の英霊達に挨拶みたいな感じで、ここを目指したのかも知れない。
現在の腐った政府に対し、英霊達の敵討ちというか
無念を晴らしてやろうという理由で
東京の街をガンガン破壊し、焼き払ったのではないかという説。

 

これは俺はまず無いと思います。というのも終盤、竹野内豊演じる赤坂秀樹はメチャクチャになった東京を前にしてこう言います。「この国はスクラップ&ビルドで成り立ってきた。今回だって、変わりはないさ」。

俺はこの映画の成功として、日本人が上述した震災のリアリティを感じられたことともう一つ、現代への閉塞感とある種の破壊願望が高いときに上映できたこともあると思います。

例えば東京オリンピック。現時点で多くの人間が冷め切ってしまっているのではないでしょうか。実力よりもコネが評価されるデザイン、グダグダで利権の臭いしかしない新会場設立・・・。また、最近ではパナマ文書の問題もありましたね。上級国民という言葉が流行ってしまうぐらい、今の日本には閉塞感や格差の拡大に強い実感を持たれていると思います。

シンゴジラの赤坂のセリフは、そういう意味で、庵野監督の「3.11が東京で起きていれば」というメッセージともとれます。逆にいうと、それ以上の意味はなくて、皇居云々は関係ないだろうというのが俺の考えです。自衛隊が攻撃されないのも、単にスポンサー兼全面協力してくれたのが自衛隊採用広報だったという大人の事情だろうし。

劇中、首相はゴジラが二度目の襲撃の際に、まっすぐ東京に向かっていると聞いて、「なんでまた東京なんだ!」と叫びます。

でもこれって、裏を返せば「せめて他の地方都市にいってくれれば!」ということなんですよね。もっといえば「3.11のときに東京に津波が来なくてよかった。やっぱり原発が東京になくてよかった」ということで。色々考えさせられますね。

そんなこんなでイデオロギーも関係なく、現代日本に対して虚構を通して再発見できる映画、それがシン・ゴジラだと思います。