空前絶後のブログ

「このようなブログを今後、我々が読むことは恐らくかなわないでしょう」-ヒラリークリントン-

『やりたいこと探し』、『好きなことを仕事に』のむずかしさ。ふわふわしないために、あるいはふわふわするために

最近ネットサーフィンしていたらこんな記事を見つけました。

 

「好きなことを仕事にしたいんですけど、本当にそれがしたいことなのかいざとなったらわからなくなって、進路が決められなくて、悩んで苦しいです」 - Saeri blog - g.o.a.t

 

この記事ですごく印象に残った部分があって。

 

 わたしは昔から「書くこと」が好きだったけれど、それを「仕事にできる」とは思っていなかった。書くことは好きと言いつつも作品を何個もつくって文芸誌に応募したこともないし、作文で最優秀賞を取ったこともない。日記でさえ"3日に1回程度"の更新頻度しかキープできず、こんなので「書くことを仕事にできる素質」があるとは思えなかった。

 

(中略)

 

大手の会社に就職できるような性格ではないと思っていたので、就活しながらバイト暮らしでもするかと心を決めた頃、たまたま声をかけてもらったのが「出版社」。意識高く動いていたときに知り合った社長が、わたしのブログやFacebookの投稿を見てくれていたことがきっかけとなった。都内にあるとても小さな出版社だったけれど「言葉の周辺にいられる」ことが嬉しくて、そこにお世話になることにした。

出版社にいたのはたった1年。編集をメインに、営業などなどちょこちょこと経験させてもらったけれど、いろいろと理由があって「辞める」という選択肢が毎日頭に浮かぶようになり、オリオン座が出る季節には「やっぱりわたしは書きたいんだ」と夜道で泣いた。

けれどそれは「苦しさから逃げるために昔の夢を持ち出しただけ」で、実際には何もできなかった。

知り合いの男性は辛辣に言葉を放った。


男性

「本当に書きたいんだったら、バイトでもキャバクラでも風俗でもパトロンのおじさんを探すでもして生活を確保して書けばいいじゃん。"自分の思うような綺麗な道だけを辿って書きたい"とか思ってんじゃないの? じゃあきみが生活できるだけのお金を僕が出すと言ったら、本当に書く? 条件は僕と一緒に暮らすことだけど。」


何も言えなかった。キャバクラや"パパ"や好きでもない人の家で暮らすことが悪いとは思わなかったけれど、それはつまり「書く」を決意することであるし、わたしにはその勇気はなかった。「その程度なんだね」と言われた。「その程度なのか」と自分でも思った。

(上記リンクより引用)

 

この男性の「本当に〇〇がやりたいなら何を犠牲にしてでもできるよね?やろうとするはずだよね?」っていう言説。世間では言う人が少ないように見えて、意外とみんな口にする言葉かと思います。

んで、俺はこの考え方、全く正しくないと思っていて。なんでかっていうのを今回は述べていきたいなと思います。

1、やりたいこと探しはふわふわしていてよい

 

「やりたいこと・好きなことを仕事にしたいです!」というのは昨今、良く聞かれる言葉ですが。

しかしそこで問題になるのは「やりたいことでどうやって飯を食べていくか」よりも「そもそもやりたいことが何なのか分からない」の方みたいです。

ではこの考え方、そもそもなんでこんなに若者を中心に共有されているんでしょうか?そのヒントとなるものがマズローの欲求段階仮説です。

 

 

上の画像を見ていただければ分かりますが、人間は原始的な欲求から始まり、その欲求を満たしていくことで段階的に、より高度な欲求を持つようになるというものです。

過去記事でも少し触れましたが、現代日本ではまず経済的困窮による餓死や犯罪被害による傷害といったことを心配する必要はありません。かなり上の世代の方に話を聞くと分かりますが、働く理由として挙げられるものは「死なないため」です。でも生理的欲求や安全欲求というものが、若い世代は既に満たされているんですね。

続く社会的欲求や尊厳欲求はどうでしょうか?バブル崩壊ぐらいまで、確かに名誉ある職というのはあったように思えます。ところが不祥事を頻発し、国際社会からバッシングされ、バブルが崩壊してしまうと、そういったことに価値があるとは言えなくなってきてしまいます。

今の若い人にブランド物が全く売れないというのは、まさにその象徴かもしれませんね。

もちろん、マズローの欲求段階仮説は本来、個々人が欲求を満たしながら段階的に登っていくものです。しかしながら、良くも悪くも現代日本社会は、そうした欲求を満たし、あるいは最初からシャットアウトしてしまうようなバイアスになっているのです。

そうなるとどうでしょうか。若い世代が「やりたいこと」を探し、生きる理由や働く原動力としようとするのは、むしろ当然ではないでしょうか。

そして、こうした見地から考えると、「本当に〇〇がやりたいなら何を犠牲にしてでもできる・やろうとするはず」という言説は間違いだと分かります。

何故なら、やりたいことを探そうという欲求は、物理的な安全や、人間としての尊厳の上に成り立っているからです。

というかやりたいことへの思いを、どれだけ犠牲や時間を消費したかで測るってどうなんでしょうか。例えば「命を賭けて描いた漫画です!親の死に目にも会えませんでした!」とかいうのも何か胡散臭くないですか。

「俺の描いた漫画めっちゃ面白くないですか~」とか言われた方が信頼できそう。

 

2、やりたいことをふわふわせずに探すために

 

とは言え、ふわふわしている状態ほど苦しいものもないでしょう。上で餓死の心配もなく、社会的欲求もない、というようなことを書きましたが、やっぱり金が無いのは辛いし、職が安定しないのは世間的に蔑まれるのではと心配になりますよね。つまり、マズローの欲求段階仮説で言えば、最上段にいるような、そうでないような・・・という不可思議な状態にあるのです。

そういう意味で、やりたいことが分からないと悩む人は、「まともに働くためにやりたいことを探している」とも言えるかもしれません。そういう仮想的というか、精神的にアクロバティックな行いが求められているのが現代なのかも。

そしてそれが「やりたいこと探し」への希求と実際の行動への乖離を深める原因になっていると俺は思います。また、そういった乖離はともすると、自分への不信など、負のスパイラルに繋がってしまうかもしれません。

 

ではどうすれば良いか?というわけで、効率的にやりたいことを探すための方法です。あまり偉そうにいえる立場ではないのですが・・・まあ色々と考えたことを途中経過だけどシェアするよ!という程度なので、過度な期待はしないで読んでいただければ 汗

 

●とりあえずやってみる

上で紹介した記事にもありますが、やってみなきゃ分かりません。でもなかなかやる気が湧かなかったりして。一番手っ取り早いのは、どんな職種でもいいからとりあえずその業界に就職してみるといいかもしれませんね。

経験則ですが、たいてい最初に考えていたことは「なんか違うなあ」となると思いますが、やっぱり惹かれた理由は絶対あって。そういうところも大切にしながら自己分析しつつ上手く軌道修正していくのが大事かなと思います。

 

●原点を探してみる

例えば「ミュージシャンになりたい」という目標があるとします。でもなんでミュージシャンになりたいんだろう?と考えてみましょう。有名になりたい、普通の社会人は嫌、楽して儲けたい・・・といったことが理由なら、別にミュージシャンじゃなくて良いですよね。

逆に、その理由が「音楽で気分を盛り上げたい」とか「音楽の論理的なとこが面白い」とかそういうのであれば、もっと具体的に夢を描けたり、他の可能性を模索できるかもしれません。

また、これは複数の夢に共通点を探したり、夢にとどまらず普段のクセとか性格とか、色々なものを原点から探り、共通点を探っていくと面白いと思います。意外と人間は複雑ではないというか、シンプルな原点が多様な現実に反応しているだけだったりして。大きなヒントをもらえるのではないでしょうか。

 

●お金を貯めて仕事を辞める

しばらく働かなくてもよいぐらいの貯金があれば仕事を辞めて色々と模索するのも良いかもしれません。ただ注意点として、これはまた別にまとめたいんですが、仕事を辞めることで変わることってそんなすごいあるわけでもないので。確かに変わることもあるけどあまり期待しすぎない方が良いです。

あと貯金だけじゃ将来が不安って性格の人だと意味がないと思います。じゃあもっと手に職つけてからにするのか、仕事のストレスや時間をできるだけ圧縮していくのか、そこら辺は個人の性格次第ですかね。

 

●要素を分解してみる

やりたい、興味はある。けれどなかなか実行に移せない時におすすめ。たとえば中古のゲームを通信販売するウェブサービスを立ち上げたいならば

 

・中古のゲームを仕入れる

・中古のゲームをそれぞれ整理する

・中古のゲームを売る

・ウェブページのデザインを実際にかく

・必要なウェブページの機能をすべてあげる

・事業に必要な最低人数やスキルを整理する

 

などなど。細かく挙げればより具体的になりますし、自分のスキルでできるところ、できないところが分かります。自分ができるところで実績があれば、協力してくれる人も出てくるでしょう。また自分の専門でない分野の勉強も、いたずらにやるよりは効率が良いはずです。

 

以上、やりたいこと探しのための提案でした。

最近思うのですがほんと時間って流れるの早いなあと・・・。やりたいことがあろうとなかろうと、欲しかろうといらなかろうと、後悔しないようにいきたいですね。それではまた