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空前絶後のブログ

「このようなブログを今後、我々が読むことは恐らくかなわないでしょう」-ヒラリークリントン-

体育会系が日本を滅ぼす。スポーツを通して破滅する方法を学びました

のではないかというお話。

ご存知の通り、現代の日本では体育会出身というだけで就職が有利になると言われています。一般に彼らは体力に優れ、上下関係をわきまえ、ストレス耐性があると考えられるからです。また、採用担当がスポーツ好きであれば、それだけで話が弾むというもの。

そう考えれば人を採用するという不確実性の高いバクチにおいて、体育会系か否かというのは学歴と同じぐらい重視されるのも必然と言えるかもしれません。

しかし、それは果たしてその会社に、ひいては日本社会に良い結果をもたらしたと言えるでしょうか。俺は現状を鑑みるまでもなく、そうは思えません。先の敗戦から考えても、体育会系が日本を蝕み滅ぼすのは予定調和の範疇なのです。その理由は3つあります。

 

1、精神論の過度な重視

 

戦略論の大家、リチャード・P・ルメルトは著書『良い戦略、悪い戦略』でこう述べています。「悪い戦略とは目標と戦略をとりちがえている」ことであると。

 

ローガンによれば、同社の戦略目標はきわめてシンプルである。名付けて20/20プランという。これはつまり、売上高を毎年20%伸ばし、利益率を20%以上にすることだそうだ。

(中略)

私は言った。「これを達成するにはどうしたらいいか、何か考えはあるのか」

 ローガンは指で書類を叩きながら力強く言った。「フットボールの選手をしていたときに学んだのは、勝利には力と技術が必要だが、それより何より勝つという意思が大事だということだった。絶対に勝つ、そういう強い気持ちだ。(中略)われわれは達成するまでやり抜く。それが大事だ。」

それは私が期待していた答えではなかった。私が知りたかったのは、何か飛躍のきっかけになるようなもの、テコの支点となるようなものがあるのか、言い換えれば、この安定した小さな会社が急激に売り上げを伸ばせると考える理由が何かあるのか、ということだった。(中略)「最後のひとふんばり」をひたすら要求するだけのリーダーは能がない。リーダーの仕事は、効率的にがんばれるような状況を作り出すことであり、努力する価値のある戦略を立てることである。

 

出典:リチャード・P・ルメルト『良い戦略、悪い戦略』日本経済新聞出版社 P66~71

 

スポーツは人の成長に大きく貢献することは俺も賛成です。また、何をするにしてもやり抜く意思やタフさは必要でしょう。しかし、過度な精神論への盲信は悲劇を拡大させるだけとなります。

第二次大戦を振り返って、太平洋艦隊司令長官のチェスター・ウィリアム・ニミッツ「日本は戦闘の先っぽではアメリカに勝ったが、戦略では無為にして負けた」と述べました。

その通り、旧日本軍は戦争を始めても、具体的にどう終わらせるのか?という戦争計画を何も持っていませんでした。結果として、外交で良いようにされ、暗号を解読され、艦隊を沈められ、本土が爆撃されたにもかかわらず、戦地の拡大と泥沼化、そして最後は特攻攻撃を繰り返すというアンバランスで奇天烈な状態になりました。

現代日本ではどうでしょうか。近年も三井不動産の欠陥工事や三菱自動車のメーター虚位記載などの不祥事が何件か明らかになりました。方法を提示せず、結果だけを求め続ければ、こうした不祥事が起こるのは当然の結果なのです。

 

2、ピラミッド型の組織

 

体育会系というのはピラミッド型の組織と厳しい上下関係を歓迎します。このような組織体系はスポーツは勿論、軍隊などの瞬時の判断が生死に直結するような場には必要不可欠でしょう。

また、大量生産を目標とした、マニュファクチュアにおいても効果的でした。つまり10人で1つのチームを作り、1人がチーム長となる。5人のチーム長を1人の工場長が監督し、3人の工場長を1人の部長が監督し・・・というようなものです。

しかしながら価値観が多様化し、大量生産・大量消費が難しくなった現代社会において、このような生産体制は不向きになってきています。

アップルやサムスンは自社で設備を極力持たず、技術から生産まですべてアウトソースしています。逆にシャープが過剰な設備投資を行った末に今の惨状に陥ってしまったことは、その象徴と言えます。

 

3、フラットとは程遠い社会

 

以上のように書くと、当然の反論として「欧米でも体育会系は歓迎されるだろう」という反論があるかと思います。たしかに、欧米でも体育会系は歓迎されますし、学生時代に厳しい上下関係を重視するサークルがヒエラルキーのトップにあります。そうした点は日本とさほど変わらないと思えます。

しかしながら、日本と欧米では体育会系を取り巻く環境が大きく違います。

 

第1に欧米ではベンチャーや起業など、大企業への就職以外にも多数の道があります。気風としても学生が卒業後に起業するという選択肢は推奨されますし、またその援助も豊富にあります。非体育会系であろうとオタクであろうと、様々な道が用意されているのです。そうして興った企業が、次世代を形作っていきます。一方日本では大企業を目指すことが推奨され、一度レールから外れるというのは大きなリスクとして見られてしまいます。

 

第2には欧米において就職時、体育会系というだけでは採用されません。そのため文武両道しか許されないのです。スポーツ漬けという言葉があるぐらいの日本とは対照的といえます。

 

第3ですが、議論と人格の強い結びつきが挙げられます。評論家の故・小室直樹氏は日本を強く愛されていた戦後論客の1人です。その彼が日本の課題として挙げていたのがフラットな議論でした。

すなわち、日本では議論で敗れるということは人格の否定と同義だと思われます。そのため、しばしば感情論に陥ります。また議論にとどまらず、制度設計から個々の行動まで、論理的行動とは別に、人格への配慮が求められるのです。

こうした事は、悪く言えばそうですが、良く言えば日本的情緒ともいえます。俺はそういった日本の情緒感はとても好きです。しかしながら、それが組織と結びつき、生死や経済的成否に結び付けばそうも言ってられません。

上述した論理と人格の同一視は日本型体育会系と強く結びつき、歓迎されてきました。

良く言われるのは旧日本海軍年功序列人事。世界的に評価の高い航空戦のスペシャリスト、山口多聞と「水雷の権威」と言われた南雲忠一真珠湾攻撃の際に編成された機動部隊の指揮は年功序列から南雲忠一に任されます。

 

  真珠湾攻撃は2波の攻撃で、アメリカ艦船18隻、飛行機311機、を撃破したが、米空母は出港していたために討ち漏らした形となり、また、基地施設と重油タンクはまったくの手つかずの状態であった。
 しかし、南雲長官は大戦果を得たことで、3次、4次の攻撃を行わず、かといって討ち漏らした米空母を求めることもなく、引き上げている。
 よく、言われることだが、「もし、日本軍が基地施設と、重油タンクを攻撃したら米海軍の立ち直りはずっと遅れたであろう」と言われる。
 そもそも、真珠湾攻撃の立案者、山本五十六の本音は、開戦とともに、米機動部隊を撃滅させるか、ハワイの港湾施設を破壊してアメリカ海軍に後退を強いるかの、いずれかであった。その意図を知る山口は再度の攻撃を具申するが、艦隊を安全に日本に帰そうとする南雲司令部はこれを無視。山口は空しく帰らざるをえなかった。
 しかし、ここでも冒頭の「もし、山口多聞少将が機動部隊を指揮していたら」と言うことが想起させられる。もし、山口が機動部隊を指揮していたら、ハワイの軍事施設を徹底的に叩くか、米空母艦隊を求めて決戦するか。いずれにしても、その後の太平洋の戦局を大きく変えたことは間違いない。

 

出典:提督の決断 山口多聞

 

ここで注意されたいのは、儒教的な価値観の「長幼の序」が問題なのではないということです。宗教的な価値観と現実問題において必要な対応をとることは別問題です。同じ儒教圏でも、例えば中国では、倫理と論理を秤にかけ、場合によっては若手が大出世しても良いんです。

ところが日本では論理的な部分が無い故に、比較することが出来ない。破れば「相手に失礼」とか「慣習を破った」としか思われない。結局は慣習やその場の空気に従わざるを得なくなるのです。

余談ですが、そういうわけで俺は近年の実力主義成果主義を日本企業へ導入する流れはうまくいかないと思います。いきなり年功序列を否定することは日本人に合っていない。そうではなく、年功序列という倫理観の核はどこなのか、どういった場合に例外を設けていくかを決めなければ、上に媚びへつらう人間が跋扈するだけで終わるのではないでしょうか。

 

以上、体育会系と日本の失敗との関係について、でした。さんざ叩いてますが、もちろん体育会系採用に悪いことばかりと言いたいわけではありません。特に戦後復興には精神論と体力でガッーとやることが大きく貢献したでしょう。またスポーツを通して得られる成長も確かにあるのです。

しかし、何事もバランスというものがあります。俺は今の日本社会は、偏りが過ぎている部分があると肌で感じていて。そうしたことを考えるキッカケになればなと思います。